ドリー・ベーカーと沢田靖司


Dolly Baker and Yasushi Sawada
1999,12,5 Iino Hall

ドリー・べーカーと沢田靖司とは20数年家族同様のつきあいをし、互いに尊敬し会ういいコンビです。沢田夫人がドリーのマネージャーを引き受けているのです。以前、ドリーが「日本で尊敬できるジャズ・ミュージシャンは前田憲男と沢田靖司」と語ってくれましたが、これはお世辞でも何でもない事実だと思います。名前は挙げませんがアメリカで有名になれなくて、日本やヨーロッパなどで有名になったジャズ歌手が数少なくありません。大概、そういう歌手はアメリカで冷たく扱われるようです。逆にアメリカで厭なことがあって、国外で活動するミュージシャンもいるわけです。

ドリーはそういう人達とは違い、日本が好きだから日本に住んでいるのです。しかし、幸か不幸かドリー・べーカーは日本で一般の人に名を知られるということが今まで少なかったのですが、プロの世界や特別なジャズ・ファンには誰にもよく知られているのです。そのような訳でドリーはアメリカの有名ミュージシャンたちからスポイルされるようなことがなく、アメリカからミュージシャンが日本に来る際には必ずと言っていいほど「ドリーに話を通せば、いろいろ面倒を見てくれる」という方程式が出来上がってしまっています。

しかし、10年以上前になると思いますが、拳闘のマイク・タイソンが日本でヘビー級世界選手権試合を行ったとき、アメリカ国歌をドリーがア カペラで歌い大変話題になったことがあります。わたしもまさかドリーがそんなところに出てくるとは思いもせずテレビを見ていたところ、何とドリーがリング上に出てきたのでびっくりしてしまったことがあります。

現在のところ、ドリーのCDは3枚発売されました。一枚は1993年7月のもので、Sony Recordsから出た"ALL WAVES"というアルバムです。プレーヤーはドリー・べーカー(Vocal)、松本英彦(T.Sax)、沢田靖司(Vocal & Piano)、荒川康男(Bass)、石松 元(Drums)、小津昌彦(Drums)という豪華な顔合わせです。小津さんは残念ながら病気で亡くなってしまいましたし、松本さんも昨年から闘病生活を送っていましたが亡くなりました。松本さんとは2年前に赤坂のリトル・マヌエラのエレベーターの中で、私の大先輩である帝国ホテル前社長の犬丸さんと一緒のところにばったり会いました。そのとき犬丸さんの勧めで私のカバンに"I love Jazz"とサインをしてくれました。いい記念になりました。ドリーの最初のCD"ALL WAVES"は今までに4万5千枚をこすヒットとなりました。この種のCDで4万枚ということはたいへんな数字なのです。もう一枚は98年のレコーディングでDenonから発売された"We 3+Dollly Baker"です。"We 3"とは言わずと知れた前田憲男(Piano)、荒川康男(Bass)、猪俣猛(Drums) のトリオで、+ ドリー・ベーカー(Vocal)というわけです。これも前作とはがらりと雰囲気が変わり、リラックスムードの粋で洒落たCDとなりました。

99年5月にはドリーと前田憲男の"King of Jazz"というタイトルのCDがColumbiaから発売されました。円熟したボーカルは超一流と言えます。

沢チンの最初のリーダー・アルバムは1979年5月発売のライブ盤「沢田靖司 イン スコッチ・ハウス25」(Victor PRC−30299)です。まだ、日本には満足なジャズ・ボーカルがきわめて少ない時代なのです。レコード・ジャケットの帯には「幻のジャズ・ボーカリストが長い沈黙を破って遂にそのベールをぬいだ。豊かな音楽性に裏打ちされた卓抜した歌唱力で、スタンダード・ナンバーを歌いこなしたホットなライブ・アルバム」とあります。メンバーは沢田靖司(Vocal, Pf, A.Sax)、杉原 淳(T.Sax)、小野寺 清(Bass)、チク・小林(Drums)です。

同じ年に、「イマジネーション−沢田靖司イン・ニューヨーク」(Victor PRC−30309)があります。沢田靖司(Vo)、ロン・カーター(Bass)、ハンク・ジョーンズ(Pf)、グラディ・テイト(Drums)、レモ・パルミエ(Guitar)というすごいメンバーであります。「最高のバックで歌って王様になった気分を味わったのだが、少しは緊張という代償を払ったはずだ」とライナー・ノートに岩浪洋三さんが書いています。また、このレコーディングに関するいきさつ、裏話を笈田敏夫さんが書いています。皆さんは沢チンが慶応病院で脳に出来た腫瘍の開頭手術を受けたことをご存知かと思いますが、それがこのレコーディングの直前のことであり半年間レコーディングが延期されたのです。したがって、このような病気がなければ、場合によってはこのレコードが第一作のリーダー・アルバムとなっていたかもしれないのです。ハンク・ジョンーズは80歳を越してまだ矍鑠として現役です。99年に来日したのですが、またエレベータの中で出っくわしました。エレベータの中でサインをしてもらいました。

学者も何人かが共同で論文を書くことがあります。そんな時、最初に名前を書かれる人を筆頭著者といい、主役という意味で高く評価されるわけです。リーダー・アルバムに通ずるわけです。手術後の薬物の影響で髪の毛がだんだん寂しくなりましたが、それまでは黒々していたのです。若いときから和尚さんではなかったのです。

また、1993年3月に沢チンは音楽生活35周年記念のリサイタルを芝のabcホールで開きました。その中から15曲をレコーディングしたCDが作られていますが、これは日本で超一流の人達を集めたフルバンドをバックにしたものです。聴いてみたい方は、沢田靖司音楽事務所(3323-2800)にお電話で尋ねてみてください。ひょっとすると、まだ、残りがあるかもしれません。

1999年12月1日には、沢田靖司の音楽生活40周年+還暦をぶっ飛ばせのコンサートがイイノホールで開かれました。ドリーの喜寿でもあり当然特別ゲストとして出演しました。ドリーは98年の5月に突然心臓発作が起き、ただちにペース・メーカーを埋め込まれてしまいました。「わたし死んでも、心臓は止まらないのだから」と頗る元気ではありますが、歳も歳です(1922年2月7日ニューヨーク生まれ)。満身創痍の身体をいたわってほしいものです。今までご存知のない方々にも是非とも本物のジャズを楽しんでいただきたいと思います。いずれにしてもドリーとジャズボーカルで掛け合い、セッションがやりあえるボーカリストは日本には沢田靖司しかいないといって誰にも叱られないでしょう。とにかく「アーティスト」とは、こういう人たちのことをさす言葉です。

お得意のデュエット"Them There Eyes"を一寸聴いてみますか? ♪Them There Eyes

ドリーは1922年生まれです。東京赤坂に住まいを構えて30年以上になりました。これまでは、年に一度2〜3ヶ月生まれ故郷のニューヨークに里帰りをしていましたが、これからは生活のパターンを逆にすることになりました。

2001年5月に東京を発ちました。でも、10月には東京に戻り3ヶ月ほどは滞在します。その間に、またライブ活動をして皆さんに飛び切りのボーカルを聴かせてくれます。

ドリー・ベーカーは、2001年度「日本ジャズボーカル大賞」を受賞しました。

2014年、ドリーは92歳で亡くなりました。長生きしてくれました。

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